北ア・前穂Ⅳ峰正面・屏風岩
期間:1988.7.26夜~7.30 大阪ぽっぽ会 Gramps
Ⅳ峰・北条新村ルート、屏風岩・東稜
パートナー:H三郎さん
Ⅳ峰からの続き
7月29日:
2時起床。ラーメンライスの朝食後、3時30分出発。天気は晴れ。
昨夕から出ていた月もこの頃には西の空に沈んで闇夜となる。
4:35分横尾着。Na海、Fu谷さんはまだ現れず少々遅れている様子。
横尾はテント、テントで賑わっている。
我われはお先に出発させてもらう。しばらくしたら二人が追いついてきた。
横尾の岩小屋の前で梓川を渡渉。その前にFu谷、Na海さんがキジうち、私もついでに・・・
梓川の水は流石に冷たい。途中で引き返したくなる。
が引返したら屏風は登れない。歯を食いしばって渡る。
全員渡ってホッとしていたら後から後続パーティーが追いかけてきた。
ここから先陣争いである。この先陣争いが非常に大切であることが後で分かった。
ルンゼ押し出しを詰めて行く。
これが昨年9月大崩落のあった1ルンゼの下部である。
気を引き締めて登る。やがて雪渓が現れ、その右にT4尾根が張り出して来ている。
ここよりT4尾根の取り付きである。先行に3人パーティーが1組、取り付きの準備をしている。
彼らに続いて我われ2パーティーが取り付くべく準備をする。
私の準備が遅れているので、今回の編成ではないNa海、Hさんに先に登ってもらう。
トップのNa海さん、あんなに重い荷物を担いでよく登れるなあと感心。
セカンドのHさん登り始めでスリップ。思わず「手強いな」と気を引き締める。
1P目:を登ってFu谷さんを確保。先行パーティーが落石を続けて落とす。
2P目:つるべでFu谷さんにトップを交替。
FU谷さんも背中の荷物が重そう。
我われの後続パーティーは韓国・高麗大学学生3人と案内係の福岡大学の学生の1人の2パーティー。
彼らは大学の山岳部で総勢11名。
1ヶ月くらいの予定で日本に遠征に来ているとか。
今日は4人で偵察に来て、明日から本格的に登るそうだ。
4人は東稜と東壁ルンゼルートを登るようだ。
2P目の後は尾根道みたいなところとチョックストーンを乗り越してバンドを右にトラバース。
T4でNa海、Hさんが待っていてくれた。T3でFu谷、Na海さんと別れて、T2へ、
T2は意外や、いがい。大きなテラスである。
4人用テントも十分張れそうだ。
ここについたらHさんが焦っているとしか思えないほど急がす。
こちらは昨日の疲れか太股がだるい。
登攀意欲が湧かない上にHさんが何故そんなに急いでいるのか全く理解できない。
後続の韓国パーティーはゆっくりこちらに向かってきている。
とにかく急がされるままに確保に入る。
こんなに慌てふためいた状態で登るのは初めてである。
屏風岩・東稜
屏風の頭より涸沢を俯瞰
1P目:T:H:小ハングで少してこずっていたが、難なく登って「ビレー解除」のコール。
私めはまだ登る意欲が湧かない。
こんな気持で登れるのかな?ちょっと心配になる。
気合を入れて登りはじめる。案の定ハングのところで弱気がでる。
力強く登れず、めそめそと?登る。疲れる。
2P目:T:Gramps:やっと2ピッチ目より気合が入って来たようだ。
5つ目のボルトのリングが飛んで3mmシュリンゲがぶら下がっている。
思わずこの間の雪彦の残置シュリンゲが切れて墜落したことを思い出す。
「Hさん、頼みますよ」と声をかけて下を見ると、
Hさん下を向いてトップを見てくれていない。
むっとするも、再度大声で「頼みますよ」と怒鳴る。
「よっしゃ!」の声を聞いて気持も平常に戻る。
誠に単純な男である。上部を左にトラバースしてビレー。
3P目:T:H:どう登ったか覚えていない。
屏風の頭にて
4P目:T:Gra:人工で小ハングを越えて直上。
途中ボルトが1本飛んでいるのであろう。
上から長いシュリンゲが垂れ下がっている。
それにこわごわ乗ってシュリンゲの基を見るとヒャーとする状態になっている。
いつかは誰かが落ちるのであろうと思うとぞっとする。
上部は左にトラバースしてアブミビレー。
ふと上を見るとここより2~3m上にスタンスのあるビレーポイントがある。
高度感があり、対峙している山々。
韓国の学生ジュアン君「美しいですね。あの山はなんですか?」
「えーと、ジョウネン、チョウです」と返事。
ホンマに高度感抜群。
下の梓川沿いの登山道を歩いている登山者が蟻のように小さく見える。
Hさんを確保しながら、こんど涸沢へ子供たちを連れてきたら「父さんはあそこを登ったんだよ」なんて自慢したい気持で一杯になる。
5P目:T:H:棚を左に進むも登れそうにない。
右へトラバースしカンテを回り込んだら比較的易しい登り口を発見したようだ。
ピナクル手前でビレー。
6P目:T:Gramps:被り気味の所を人工でゆっくり確実に登る。
上部はフリーで小カンテを右にまわりこむところが少し恐かった。
登りきった所のテラスで確保。疲れました。
確保しながら左斜め下を見ると、扇岩テラスでNa村、Ka下さんが順番を待っている。思わずコール。
7P目:T:H:潅木帯を40m一杯のぼる。
屏風の頭にて
7P目を終了した時点で足がくたくたに、ここから屏風の頭までの長いこと。
やっとの思いで頭に到着。
大休止。ここからの眺めは疲れた身体を癒してくれる。
何年か前に来た雪の眺めとは又違った味わいがある。
ここでいつまでも休憩していたいが、時間も時間であるので涸沢に急ぐことにする。
耳までのコル、積雪期はナイフリッジになっているが、今は平凡な夏道である。
耳を越して賽の河原の横を通り抜け、最低コルへ。
ここで少し休憩して出発。
「積雪期涸沢ヒュッテから来た時はここをトラバースして来たのだがなあ」
と言いながら尾根を真っ直ぐに下っている明瞭な道を降りる。
いつまで下っても左へ(涸沢方面へ)トラバースできそうもない。
高度も小屋の高さまで下ってきた。
そのうちに1ルンゼに合流。このままでは涸沢への登山道まで降りなければならないだろう。
これからまた登り返し涸沢まではしんどい。
横尾に下ってしまうことにする(18:05)。
横尾へは19:40分に到着。
明日一日、上高地辺りを散策することにしてここに幕営する。
7月30日:
4時起床、5時半出発。徳沢園に向かう。
時間も十分あるのでゆっくり歩く。いつもここを通過するときはハイスピードである。
今日はゆったりした気持で周りの景色を楽しみながら歩く。
ここに初めて訪れたのは1966年である。
その時は確か雨の中をゆっくり歩いていた記憶がある。
天気快晴。それにしても滝谷へ行かなかった事に悔いが残る。
徳沢園で朝食、帰りの身支度やらで2時間過ごす。明神池を覗いて上高地に11時30分着。
タクシーで松本に。
松本は暑い。13時現在29℃。
例のお亀の湯は15時からのため信州会館へ行って風呂に入る。
15時20分「しなの80号」で名古屋まで行き新幹線に乗り換えて京都へ。
以上
期間:1988.7.26夜~7.30 大阪ぽっぽ会 Gramps
Ⅳ峰・北条新村ルート、屏風岩・東稜
パートナー:H三郎さん
Ⅳ峰からの続き
7月29日:
2時起床。ラーメンライスの朝食後、3時30分出発。天気は晴れ。
昨夕から出ていた月もこの頃には西の空に沈んで闇夜となる。
4:35分横尾着。Na海、Fu谷さんはまだ現れず少々遅れている様子。
横尾はテント、テントで賑わっている。
我われはお先に出発させてもらう。しばらくしたら二人が追いついてきた。
横尾の岩小屋の前で梓川を渡渉。その前にFu谷、Na海さんがキジうち、私もついでに・・・
梓川の水は流石に冷たい。途中で引き返したくなる。
が引返したら屏風は登れない。歯を食いしばって渡る。
全員渡ってホッとしていたら後から後続パーティーが追いかけてきた。
ここから先陣争いである。この先陣争いが非常に大切であることが後で分かった。
ルンゼ押し出しを詰めて行く。
これが昨年9月大崩落のあった1ルンゼの下部である。
気を引き締めて登る。やがて雪渓が現れ、その右にT4尾根が張り出して来ている。
ここよりT4尾根の取り付きである。先行に3人パーティーが1組、取り付きの準備をしている。
彼らに続いて我われ2パーティーが取り付くべく準備をする。
私の準備が遅れているので、今回の編成ではないNa海、Hさんに先に登ってもらう。
トップのNa海さん、あんなに重い荷物を担いでよく登れるなあと感心。
セカンドのHさん登り始めでスリップ。思わず「手強いな」と気を引き締める。
1P目:を登ってFu谷さんを確保。先行パーティーが落石を続けて落とす。
2P目:つるべでFu谷さんにトップを交替。
FU谷さんも背中の荷物が重そう。
我われの後続パーティーは韓国・高麗大学学生3人と案内係の福岡大学の学生の1人の2パーティー。
彼らは大学の山岳部で総勢11名。
1ヶ月くらいの予定で日本に遠征に来ているとか。
今日は4人で偵察に来て、明日から本格的に登るそうだ。
4人は東稜と東壁ルンゼルートを登るようだ。
2P目の後は尾根道みたいなところとチョックストーンを乗り越してバンドを右にトラバース。
T4でNa海、Hさんが待っていてくれた。T3でFu谷、Na海さんと別れて、T2へ、
T2は意外や、いがい。大きなテラスである。
4人用テントも十分張れそうだ。
ここについたらHさんが焦っているとしか思えないほど急がす。
こちらは昨日の疲れか太股がだるい。
登攀意欲が湧かない上にHさんが何故そんなに急いでいるのか全く理解できない。
後続の韓国パーティーはゆっくりこちらに向かってきている。
とにかく急がされるままに確保に入る。
こんなに慌てふためいた状態で登るのは初めてである。
屏風岩・東稜
屏風の頭より涸沢を俯瞰
1P目:T:H:小ハングで少してこずっていたが、難なく登って「ビレー解除」のコール。
私めはまだ登る意欲が湧かない。
こんな気持で登れるのかな?ちょっと心配になる。
気合を入れて登りはじめる。案の定ハングのところで弱気がでる。
力強く登れず、めそめそと?登る。疲れる。
2P目:T:Gramps:やっと2ピッチ目より気合が入って来たようだ。
5つ目のボルトのリングが飛んで3mmシュリンゲがぶら下がっている。
思わずこの間の雪彦の残置シュリンゲが切れて墜落したことを思い出す。
「Hさん、頼みますよ」と声をかけて下を見ると、
Hさん下を向いてトップを見てくれていない。
むっとするも、再度大声で「頼みますよ」と怒鳴る。
「よっしゃ!」の声を聞いて気持も平常に戻る。
誠に単純な男である。上部を左にトラバースしてビレー。
3P目:T:H:どう登ったか覚えていない。
屏風の頭にて
4P目:T:Gra:人工で小ハングを越えて直上。
途中ボルトが1本飛んでいるのであろう。
上から長いシュリンゲが垂れ下がっている。
それにこわごわ乗ってシュリンゲの基を見るとヒャーとする状態になっている。
いつかは誰かが落ちるのであろうと思うとぞっとする。
上部は左にトラバースしてアブミビレー。
ふと上を見るとここより2~3m上にスタンスのあるビレーポイントがある。
高度感があり、対峙している山々。
韓国の学生ジュアン君「美しいですね。あの山はなんですか?」
「えーと、ジョウネン、チョウです」と返事。
ホンマに高度感抜群。
下の梓川沿いの登山道を歩いている登山者が蟻のように小さく見える。
Hさんを確保しながら、こんど涸沢へ子供たちを連れてきたら「父さんはあそこを登ったんだよ」なんて自慢したい気持で一杯になる。
5P目:T:H:棚を左に進むも登れそうにない。
右へトラバースしカンテを回り込んだら比較的易しい登り口を発見したようだ。
ピナクル手前でビレー。
6P目:T:Gramps:被り気味の所を人工でゆっくり確実に登る。
上部はフリーで小カンテを右にまわりこむところが少し恐かった。
登りきった所のテラスで確保。疲れました。
確保しながら左斜め下を見ると、扇岩テラスでNa村、Ka下さんが順番を待っている。思わずコール。
7P目:T:H:潅木帯を40m一杯のぼる。
屏風の頭にて
7P目を終了した時点で足がくたくたに、ここから屏風の頭までの長いこと。
やっとの思いで頭に到着。
大休止。ここからの眺めは疲れた身体を癒してくれる。
何年か前に来た雪の眺めとは又違った味わいがある。
ここでいつまでも休憩していたいが、時間も時間であるので涸沢に急ぐことにする。
耳までのコル、積雪期はナイフリッジになっているが、今は平凡な夏道である。
耳を越して賽の河原の横を通り抜け、最低コルへ。
ここで少し休憩して出発。
「積雪期涸沢ヒュッテから来た時はここをトラバースして来たのだがなあ」
と言いながら尾根を真っ直ぐに下っている明瞭な道を降りる。
いつまで下っても左へ(涸沢方面へ)トラバースできそうもない。
高度も小屋の高さまで下ってきた。
そのうちに1ルンゼに合流。このままでは涸沢への登山道まで降りなければならないだろう。
これからまた登り返し涸沢まではしんどい。
横尾に下ってしまうことにする(18:05)。
横尾へは19:40分に到着。
明日一日、上高地辺りを散策することにしてここに幕営する。
7月30日:
4時起床、5時半出発。徳沢園に向かう。
時間も十分あるのでゆっくり歩く。いつもここを通過するときはハイスピードである。
今日はゆったりした気持で周りの景色を楽しみながら歩く。
ここに初めて訪れたのは1966年である。
その時は確か雨の中をゆっくり歩いていた記憶がある。
天気快晴。それにしても滝谷へ行かなかった事に悔いが残る。
徳沢園で朝食、帰りの身支度やらで2時間過ごす。明神池を覗いて上高地に11時30分着。
タクシーで松本に。
松本は暑い。13時現在29℃。
例のお亀の湯は15時からのため信州会館へ行って風呂に入る。
15時20分「しなの80号」で名古屋まで行き新幹線に乗り換えて京都へ。
以上
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