韓国インスボン
スラブ、チムニー、クラック登攀
Gramps
日程:2007.09.28~10.02
参加者:Oさん(福島)、Hさん(フレンズ)、S君、Gramps(大阪ぽっぽ会)
9月28日:
白雲山荘までのアクセス:
関空9:30→仁川空港11:20、12:15→(空港鉄道:w3100)→金浦空港12:47、13:04→w1500(地下鉄5号線)→東大門運動場12:50、12:55→(地下鉄4号線)→スイユ(SUYU)14:10、14:15→w1500(バスw1000:#130,170,217)→牛耳洞(ウィドン)→(タクシー:w6000)→トソンサ~白雲山荘(徒歩約60分)
ウイドンで山道具屋を見て回る。安くない。
ほぼ日本と同じか高い。
昼食を取るために食堂に入ったがメニューが分からずラーメンと言ったら即席ラーメンみたいな袋を破って麺を出し適当な具を放り込んだ物が出てきた。
辛さを気にしていたが余り辛くはなくホッとする(w2500)。
ウイドンから見たインスボン
ウイドンからはトソンサのお寺に行くバスもあるようでこの場合料金は気持だけで良いとか。
トソンサからはよく整備された登山道を約60分歩いて白雲山荘に到着。
途中仁寿峰のよく見える展望地で休憩しながらルート説明を聞く。21:30就寝。
白雲山荘への途中から見上げたインスボン
初日に夕食は焼肉とアルコール
9月29日:
5時起床。体操、散歩を楽しみ7時に朝食。8時過ぎ出発。
Oさん・HさんとS君・Grampsに分かれて登ることにする。
我々は仁寿A(インスA)にトライする。
このルートの取り付き・オアシステラスに行くために大スラブのアプローチが2ピッチある。
1P:S君:50m:(5・7)どちらが先に取り付くかじゃんけんでS君から登ることになる。
クラックにカムを噛まして登って行く。
トポでは40mとあったが45mのロープでもビレー点に届かず私が7mほど登ってやっと届く。
途中ランニングビレーは2本しかとれないスラブは恐い。
これから登るルートをアプローチから見たところ
2P:Gramps:45m:(5・7)ここからも右上気味にスラブを恐る恐る登って行くが、途中ピンは2本しかなく心臓に悪い。
仁寿A:オアシステラスから:
1P:S:(5・6):広いクラックを登り狭くなったころをオポジションで35m。
カムが噛ませるので気持が楽だ。
2P:Gra(5・8):このルートの核心部。出だしのバックアンドフットが核心か。
体が慣れていないのでちょっと苦心するも、段々なれてきて後はそんなに苦労なく順調に伸ばせた。25m
3P:S(5・7):鋭角気味のチムニー15mほど登ったところがピッチの核心部。
カムが噛ませずペツルハンガーはここをクリアーしないと届かないイケズなピンの打ち方に見える。
バックアンドフットで登るが左のフットホ-ルドのスラブが滑りやすくホールドも乏しい。
トップのS君3回トライしたが登れず、ザックを下ろして更にトライ3回目にして何とかクリアー出来た。
続く私はセカンドの気安さで簡単に登れてしまった。S君ありがとう。25m
右の鋭角気味のチムニーを登るS君(ちょと小さすぎてわかり辛い)
4P:Gram:(5・6)最初の大岩を左から登ってどんどん伸ばし終了。30m
5P:S:(5・5)本峰に向かって4mほどクラックを登り15mほどでビレー。ここでロープを解いて山頂に向かう。
途中タヌキの腹(5・7)と言われるところを越えると山頂である。
白雲台には大勢のハイカーが
山頂にはどでかい岩が鎮座している。
一部浮いていて岩小舎のようになっている。
向かいの山・白雲台にはもの凄い大勢の人が登っている。
この山は登山道が整地されていてハイキングのメッカだそうだ。
私も最近は昔のようにがつがつ登るこことをしなくなった。
ゆったりとしたクライミングを楽しむようになってきた。
歳のせいでしょうね。S君には悪い気がするが・・・
山頂にて
下山:
山頂から左側を10m下って、そこから20m位右に固定されたワイヤーに沿ってトラバース気味に下り、
さらに5mくらい下りるとビレー点がある。
因みに懸垂下降中の5人パーティーに45mロープで下りれるか聞いてみたら、「だめ、だめ!60m要る」との返事。
親切にも彼等のロープを使って一緒に下りろと。とにかくお借りして下りることにする。
下りながら観察してみると45mロープでも2回で下りられそうである。
とにかく彼等に感謝して下山にかかる。
再び取り付き点に戻り、今度は「シュイナードB」をトライすることにする。
登りきるには少し時間が遅すぎるが行けるところまで行くということでスタート。
じゃんけんで今度は私が最初のピッチを確保。
シュイナードBを望む
1P:Gram:フレーク状のクラックをアンダークリングで登り、スラブを10mほど登りビレーポイントへ。
アンダークリングは中途半端で腰が痛い。スラブに出た途端ビビリが入る。
2P:S:このピッチぬれているため左に巻いてスラブを登ることにする。
トップは恐い。
オアシステラスからお助けを出してもらいリッジに出て右上して隣のルートの終了点に。
ここも先着の人の助けを借りる。
3P:Gram:振り子トラバースで本来のルートに戻る。快適なクラック、フレーク登り。この頃各ルートから続々と懸垂をかけて下りてくる。われわれもここで終了して下りることにする。
この夜韓国山岳会の講習会が小屋で開かれた
9月30日:
5:30起床。朝食7時、出発8時。
今日は昨日3P登ったシュイナードBにトライすることに。
天候が気になる。昨夜からの韓国山岳会の講習会で今日もごった返している。
今日もジャンケンで順番を決める。
1P:Gramp:昨日登ったルートであるがスラブに出るとやはり恐い。
1ピッチ目終了点近くをフォローするS君
2P:S:今日も濡れているので左に巻く。
隣のルート:アプローチ2ピッチ目を登るOさん
この頃より雨が降り出したのでスラブは恐いので登攀中止して下りる。
小屋への帰り道で1ピッチ・ショートルートで遊ぶつもりが意外と厳しい。
このあたりのスラブは厳しい
現地のガイドがグレードはイレブンと言っていたが10c位に見えたのでトライしてみる。
やはりそのくらいはあったかな?小屋に戻りのんびりする。
夕方散歩がてら白雲台(ペグンデー)に登ってみる。
小屋から往復50分の道のりである。
小屋の脇にある井戸。
翌年訪問した時には衛生上使用禁止になっていた。
日曜日大勢のハイカー(小屋前)
白雲山荘
山荘のご主人と奥様(ご主人は日本語が堪能です)
今日も一日終わりました。
10月1日:
5時起床、7時朝食。出発8時。仕事の関係で帰国するS君と別れ今日はOさん、Hさんの3人で友情A(ウジョンA)を登ることにする。
アプローチ:1P目:Gramps:2P目:Oさん:
友情A:5・9
1P:Oさん:5・7(35m)のスラブ。フォローだから恐くないが、やはりリードだと心臓に悪い。
2P:Gram:5・8(30m)のクラック。ハンドが適当に決まり面白かった。最後は左にトラバースしてビレー点へ。
トポでは木でビレーとなっているがそれより2,5m上にビレー点がある。
2ピッチ目のクラック
2ピッチ目終了点間際
3P:O:5・9(20m)三日月ハングの左のチムニーを登り、やや右上してビレー。
Oさん苦戦しながらもクリアー。セカンドの気楽さで大胆にムーブが起こせるため意外と楽に登れた。
リードではこうは上手く行かないだろう。
3ピッチ目のチムニーを登るOさん
4P:5・5(30m)。左上の易しいクラック。プロテクションが取れないのでちょっと気持が悪い。インスBの最終ピッチに合流。
4ピッチ目をフォローするHさん、Oさん
5P:Hさん:5・5(45m)少しぬれているところもあったが快適な登り。
5ピッチ目をリードするHさん。
ここで終了。雲行きもいよいよ怪しくなり雨も降り出してきた。
休憩しながらインスBを登るか相談するも岩も濡れてしまったのでこれで終わりとする。
ここから山頂への途中、タヌキの腹のスラブも濡れてしまい恐い思いをする。
山頂にて。Gramps、Oさん
山頂からの懸垂地点までも濡れてしまいフリーではとても降りれないのでロープを出す。
今日は懸垂2Pで地上に到着。
小屋に泊まってお百度参りをしているおばちゃん
10月2日:下山&帰国日:
いつものように5時起床、7時朝食。
小屋の人たちと写真を撮ったりしてお別れ。
現地でお会いした韓国の青年:
韓国のアイスクライミングならご案内してくれるそうです。
お別れ前に記念写真(小屋の奥様と)
出発8:45~トソンサ9:40、45→バス(w200)→ウィドン10:00(入浴)10:50、
11:00→バス(w1000)→水踰(スイウ)→地下鉄4号(w1000)→東大門で1号線に乗り換え→鐘路5街(ジュンノウ オーガ)下車。山道具屋を徘徊、昼食→地下鉄1号(w1300)→東大門で4号線に乗り換え→東大門運動場で5号線に乗り換え→金浦空港で空港鉄道に乗り換え(w3100)→仁川空港15:40、17:55→関空19:35
あっという間に過ぎた感じの5日間でした。
でものんびりした山行ができました。スラブは恐いが慣れたら楽しくなるような気がしました。
35年前は金浦空港に着いたらあのニンニクの異様な臭いが堪らずに、
食堂に入って焼きニンニクを食べた思いでは今は昔。
もうそんな臭いもありませんでした。
知り合った現地の方(日本の会社の現地社員)の話では当時と比べ食生活も格段に変わりキムチ(ニンニク)を食べる比重はもの凄く下がっているとのこと。
そう言えば戒厳令がしかれていて、まだ地下鉄もなかった時代でした。
窓のレギュレータはぶっ潰れたままのフルスピードで走るタクシーはタイヤが外れるのでは?そんな思いで乗っていました。
それにしてももう山道具も安くない。
日本とほぼ同じ位に物価水準も上がってしまったようだ。
現地・インスボンに遊びに来ていた昔インスボン開拓に精を出していたという、
ある部品輸出商社の社長さんがぼやいていました。もう日本に輸出は難しいと。
スラブ、チムニー、クラック登攀
Gramps
日程:2007.09.28~10.02
参加者:Oさん(福島)、Hさん(フレンズ)、S君、Gramps(大阪ぽっぽ会)
9月28日:
白雲山荘までのアクセス:
関空9:30→仁川空港11:20、12:15→(空港鉄道:w3100)→金浦空港12:47、13:04→w1500(地下鉄5号線)→東大門運動場12:50、12:55→(地下鉄4号線)→スイユ(SUYU)14:10、14:15→w1500(バスw1000:#130,170,217)→牛耳洞(ウィドン)→(タクシー:w6000)→トソンサ~白雲山荘(徒歩約60分)
ウイドンで山道具屋を見て回る。安くない。
ほぼ日本と同じか高い。
昼食を取るために食堂に入ったがメニューが分からずラーメンと言ったら即席ラーメンみたいな袋を破って麺を出し適当な具を放り込んだ物が出てきた。
辛さを気にしていたが余り辛くはなくホッとする(w2500)。
ウイドンから見たインスボン
ウイドンからはトソンサのお寺に行くバスもあるようでこの場合料金は気持だけで良いとか。
トソンサからはよく整備された登山道を約60分歩いて白雲山荘に到着。
途中仁寿峰のよく見える展望地で休憩しながらルート説明を聞く。21:30就寝。
白雲山荘への途中から見上げたインスボン
初日に夕食は焼肉とアルコール
9月29日:
5時起床。体操、散歩を楽しみ7時に朝食。8時過ぎ出発。
Oさん・HさんとS君・Grampsに分かれて登ることにする。
我々は仁寿A(インスA)にトライする。
このルートの取り付き・オアシステラスに行くために大スラブのアプローチが2ピッチある。
1P:S君:50m:(5・7)どちらが先に取り付くかじゃんけんでS君から登ることになる。
クラックにカムを噛まして登って行く。
トポでは40mとあったが45mのロープでもビレー点に届かず私が7mほど登ってやっと届く。
途中ランニングビレーは2本しかとれないスラブは恐い。
これから登るルートをアプローチから見たところ
2P:Gramps:45m:(5・7)ここからも右上気味にスラブを恐る恐る登って行くが、途中ピンは2本しかなく心臓に悪い。
仁寿A:オアシステラスから:
1P:S:(5・6):広いクラックを登り狭くなったころをオポジションで35m。
カムが噛ませるので気持が楽だ。
2P:Gra(5・8):このルートの核心部。出だしのバックアンドフットが核心か。
体が慣れていないのでちょっと苦心するも、段々なれてきて後はそんなに苦労なく順調に伸ばせた。25m
3P:S(5・7):鋭角気味のチムニー15mほど登ったところがピッチの核心部。
カムが噛ませずペツルハンガーはここをクリアーしないと届かないイケズなピンの打ち方に見える。
バックアンドフットで登るが左のフットホ-ルドのスラブが滑りやすくホールドも乏しい。
トップのS君3回トライしたが登れず、ザックを下ろして更にトライ3回目にして何とかクリアー出来た。
続く私はセカンドの気安さで簡単に登れてしまった。S君ありがとう。25m
右の鋭角気味のチムニーを登るS君(ちょと小さすぎてわかり辛い)
4P:Gram:(5・6)最初の大岩を左から登ってどんどん伸ばし終了。30m
5P:S:(5・5)本峰に向かって4mほどクラックを登り15mほどでビレー。ここでロープを解いて山頂に向かう。
途中タヌキの腹(5・7)と言われるところを越えると山頂である。
白雲台には大勢のハイカーが
山頂にはどでかい岩が鎮座している。
一部浮いていて岩小舎のようになっている。
向かいの山・白雲台にはもの凄い大勢の人が登っている。
この山は登山道が整地されていてハイキングのメッカだそうだ。
私も最近は昔のようにがつがつ登るこことをしなくなった。
ゆったりとしたクライミングを楽しむようになってきた。
歳のせいでしょうね。S君には悪い気がするが・・・
山頂にて
下山:
山頂から左側を10m下って、そこから20m位右に固定されたワイヤーに沿ってトラバース気味に下り、
さらに5mくらい下りるとビレー点がある。
因みに懸垂下降中の5人パーティーに45mロープで下りれるか聞いてみたら、「だめ、だめ!60m要る」との返事。
親切にも彼等のロープを使って一緒に下りろと。とにかくお借りして下りることにする。
下りながら観察してみると45mロープでも2回で下りられそうである。
とにかく彼等に感謝して下山にかかる。
再び取り付き点に戻り、今度は「シュイナードB」をトライすることにする。
登りきるには少し時間が遅すぎるが行けるところまで行くということでスタート。
じゃんけんで今度は私が最初のピッチを確保。
シュイナードBを望む
1P:Gram:フレーク状のクラックをアンダークリングで登り、スラブを10mほど登りビレーポイントへ。
アンダークリングは中途半端で腰が痛い。スラブに出た途端ビビリが入る。
2P:S:このピッチぬれているため左に巻いてスラブを登ることにする。
トップは恐い。
オアシステラスからお助けを出してもらいリッジに出て右上して隣のルートの終了点に。
ここも先着の人の助けを借りる。
3P:Gram:振り子トラバースで本来のルートに戻る。快適なクラック、フレーク登り。この頃各ルートから続々と懸垂をかけて下りてくる。われわれもここで終了して下りることにする。
この夜韓国山岳会の講習会が小屋で開かれた
9月30日:
5:30起床。朝食7時、出発8時。
今日は昨日3P登ったシュイナードBにトライすることに。
天候が気になる。昨夜からの韓国山岳会の講習会で今日もごった返している。
今日もジャンケンで順番を決める。
1P:Gramp:昨日登ったルートであるがスラブに出るとやはり恐い。
1ピッチ目終了点近くをフォローするS君
2P:S:今日も濡れているので左に巻く。
隣のルート:アプローチ2ピッチ目を登るOさん
この頃より雨が降り出したのでスラブは恐いので登攀中止して下りる。
小屋への帰り道で1ピッチ・ショートルートで遊ぶつもりが意外と厳しい。
このあたりのスラブは厳しい
現地のガイドがグレードはイレブンと言っていたが10c位に見えたのでトライしてみる。
やはりそのくらいはあったかな?小屋に戻りのんびりする。
夕方散歩がてら白雲台(ペグンデー)に登ってみる。
小屋から往復50分の道のりである。
小屋の脇にある井戸。
翌年訪問した時には衛生上使用禁止になっていた。
日曜日大勢のハイカー(小屋前)
白雲山荘
山荘のご主人と奥様(ご主人は日本語が堪能です)
今日も一日終わりました。
10月1日:
5時起床、7時朝食。出発8時。仕事の関係で帰国するS君と別れ今日はOさん、Hさんの3人で友情A(ウジョンA)を登ることにする。
アプローチ:1P目:Gramps:2P目:Oさん:
友情A:5・9
1P:Oさん:5・7(35m)のスラブ。フォローだから恐くないが、やはりリードだと心臓に悪い。
2P:Gram:5・8(30m)のクラック。ハンドが適当に決まり面白かった。最後は左にトラバースしてビレー点へ。
トポでは木でビレーとなっているがそれより2,5m上にビレー点がある。
2ピッチ目のクラック
2ピッチ目終了点間際
3P:O:5・9(20m)三日月ハングの左のチムニーを登り、やや右上してビレー。
Oさん苦戦しながらもクリアー。セカンドの気楽さで大胆にムーブが起こせるため意外と楽に登れた。
リードではこうは上手く行かないだろう。
3ピッチ目のチムニーを登るOさん
4P:5・5(30m)。左上の易しいクラック。プロテクションが取れないのでちょっと気持が悪い。インスBの最終ピッチに合流。
4ピッチ目をフォローするHさん、Oさん
5P:Hさん:5・5(45m)少しぬれているところもあったが快適な登り。
5ピッチ目をリードするHさん。
ここで終了。雲行きもいよいよ怪しくなり雨も降り出してきた。
休憩しながらインスBを登るか相談するも岩も濡れてしまったのでこれで終わりとする。
ここから山頂への途中、タヌキの腹のスラブも濡れてしまい恐い思いをする。
山頂にて。Gramps、Oさん
山頂からの懸垂地点までも濡れてしまいフリーではとても降りれないのでロープを出す。
今日は懸垂2Pで地上に到着。
小屋に泊まってお百度参りをしているおばちゃん
10月2日:下山&帰国日:
いつものように5時起床、7時朝食。
小屋の人たちと写真を撮ったりしてお別れ。
現地でお会いした韓国の青年:
韓国のアイスクライミングならご案内してくれるそうです。
お別れ前に記念写真(小屋の奥様と)
出発8:45~トソンサ9:40、45→バス(w200)→ウィドン10:00(入浴)10:50、
11:00→バス(w1000)→水踰(スイウ)→地下鉄4号(w1000)→東大門で1号線に乗り換え→鐘路5街(ジュンノウ オーガ)下車。山道具屋を徘徊、昼食→地下鉄1号(w1300)→東大門で4号線に乗り換え→東大門運動場で5号線に乗り換え→金浦空港で空港鉄道に乗り換え(w3100)→仁川空港15:40、17:55→関空19:35
あっという間に過ぎた感じの5日間でした。
でものんびりした山行ができました。スラブは恐いが慣れたら楽しくなるような気がしました。
35年前は金浦空港に着いたらあのニンニクの異様な臭いが堪らずに、
食堂に入って焼きニンニクを食べた思いでは今は昔。
もうそんな臭いもありませんでした。
知り合った現地の方(日本の会社の現地社員)の話では当時と比べ食生活も格段に変わりキムチ(ニンニク)を食べる比重はもの凄く下がっているとのこと。
そう言えば戒厳令がしかれていて、まだ地下鉄もなかった時代でした。
窓のレギュレータはぶっ潰れたままのフルスピードで走るタクシーはタイヤが外れるのでは?そんな思いで乗っていました。
それにしてももう山道具も安くない。
日本とほぼ同じ位に物価水準も上がってしまったようだ。
現地・インスボンに遊びに来ていた昔インスボン開拓に精を出していたという、
ある部品輸出商社の社長さんがぼやいていました。もう日本に輸出は難しいと。
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