大阪ぽっぽ会 会員・ Grampsの山行

岩登り、縦走を中心に春夏秋冬楽しんでいます。

突然のそして人生初めての入院日記  
2006.2.25 
       大阪ぽっぽ会 Gramps                                                           
それは「回転性目眩」という病名でメニエル病とは違うと先生はおっしゃった。僕にはその違いが分からない。

2月21日
時間は定かでないが、朝5時頃夢現のなかでそれは突然起きた。
天地が逆転して動き出した。思わず背を丸めてこの恐怖に備える。

周りがぐるぐる回っている。一体何が起きたのかさっぱり分からない。
時間経過とともに治まってきた。気持ちが悪い。吐きそうな気分。

でもすぐに眠さが勝ってうとうととまた寝入る。
6時目覚ましの音で目覚める。どう動いた瞬間か分からないが先程の発作が現れる。

今度ははっきりした意識の中での発症である。周りの全てが超スピードでぐるぐる回転しだす。

気持ち悪い。目を開けていたらいいのか閉じていたらいいのか瞬時に判断できない。
でも目は閉じずにはいられない。

どのくらいの時間が過ぎたか分からない。きっと数秒から十数秒のことだろう。

やっと忌まわしい回転が終わると次に気持ちが悪くなり吐き気をもよおす。
胃の具合が悪くこんな事が起こったのかなあと推測。

そっと立ち上がり出来るだけゆっくりと歩いてトイレに行く。
吐き気はあるが胃の中はからっぽで何もでない。

何度かの鳴咽で胃液と共に少し血が混じってでた。
後で先生に尋ねたら激しいえずきで胃壁の一部が損傷したための出血だそうだ。

床に戻って寝た瞬間に3度目の発作。
目を閉じて身体を丸めてじっと恐怖が去るのを待つ。

我慢の限界と恐怖で思わず「救急車」と叫ぶ。
自ら救急車を呼んだのは人生で初めてである。
すぐに来た救急車の担架に乗せてもらい乗り込む。

「寝台が右に傾いている?」と尋ねると「いや、傾いていないですよ」おかしい?
三半規管が狂ってしまっているのか?血圧は150。通常120~123の私にはこの数値は驚きと恐怖である。

車が動き出しだしたら目眩が始まる。
車酔いってこんなんかなあ?車に弱い人の気持ちがわかった。

本当に辛い。添乗の人の激励と「直ぐ着きますからね」の言葉に励まされ堪える。
手先の痺れを覚える。救急病院に着くや否やCT室に。

撮った写真を見せられながら「脳は綺麗ですよ」の結果に安堵。

次はどこに運ばれて行ったか分からなかったがどうやら点滴をするところのようだ。

目眩を治める薬と気持ちをリラックスさせる薬が入っているそうだ。

このころから呼吸が激しくなり肘から先と股間節から先の脚が鉛のように重くなり自分の身体ではないようだ。
過呼吸を押さえるためにマスクがはめらる。

出来るだけゆっくり呼吸をするよう言われる。
薬とマスクのためか、手と脚の重みが取れてきた。

点滴はこれから24時間するとか。点滴してから少し経ったらきつい眩暈も和らいで来た。

内科?の先生曰く「薬で目眩を押さえています。帰ったらまたでます。1日位入院してもらいます」

「耳鼻咽喉科の先生にも診てもらいましょう」。

車椅子でトイレに、そして入院手続きを済まし2階の病室に移動する。

耳鼻咽喉科のSa井先生が来られ「2~3日入院して精密検査をしましょう。
この病気はまだ原因がはっきりしません。原因らしきところを消去していくしか今の所ありません。

過労、精神的疲労、特に精神的ストレスが三半規管を狂わすようです。
ただ治れば再発は殆どないようです。治りかたも退院して1週間の人もあれば1ヵ月かかる人もあるようです。

先程撮ったCTで見る限り脳の状態は良かったが、
念のため別の角度からMRI検査もしてみます。

それと聴力検査、胸の検査もします」とのこと。

今日からの予定や約束の取り消しを携帯で済ました後、少しうとうとしたようだ。

11時頃1回目のきつい点滴も済む。トイレに行ってはいけない(歩いてはいけない)。

尿瓶ですること。尿瓶でするのは難しい。躊躇していたら2人の看護師さんが有無を言わさずパジャマとパンツを下ろし尿瓶に入れてしまった。

昔ぽっぽ会会員の看護師であるA下さんの言った言葉を思いだした手術の時は「おチンチンを摘んでさっさと剃るんですよ」。

でもなかなか目的のものがでない。やっと出始めたらおネショした時のあの感覚が甦って来た。

続いて2度目の点滴である。今度は少し弱い薬だそうだ。

昼ご飯が運ばれて来た。お粥と蕎麦と煮物とバナナ。
食べられるかなと思ったが意外に食欲旺盛でぺろりと平らげてしまった。そして旨かった事。

起きて座っていると頭は少し重いが眩暈も無く楽である。
午後からは時々うとうとして時間が過ぎて行く。

相変わらず寝返りをうつと頭がクラっとして眩暈がし気持ちが悪い。

夕刻6時が待ち遠しかった夕食の時間である。
鶏と煮物、みそ汁、お粥さんと他に何があったかなあ?今回も快食であるが今朝から便がまだない。

食後はラジオを聞きながらうとうとしている。
21時の消灯前に血圧測定108・68で正常

10時45からラジオドラマ「垂直の記憶」を聞き終わり本格的に寝る。
相変わらず腰が痛い。夜中に3~4度目覚めたがトイレは催さない。

2月22日:2日目6時の目覚ましで起きる。
血圧は112・68。ラジオで英語番組を何となく聴く。

8時は朝食タイム。お粥、みそ汁、煮物、大根おろし、牛乳と梅干しのメニュー。
9時から胸のレントゲンと聴力測定

聴力測定で耳の後ろの骨も測ってもらったのは始めてである。
鼓膜測定も勿論初めてであった。

ここで問い合わせのメールが入ってきた。

「眩暈や頭痛はその後大丈夫ですか?」:目眩は大分良くなりましたがまだあります。
「どこの病院に入院されているのですか?」:高槻の第一T病院です。高槻市・・・・。

171号線京都方面Nバス停前。
「原因は何なのですか?」:原因は分からないがストレスが三半規管に与える場合が多いそうです。

そのほかに脳障害があることもあり、CT以外にMRI検査もします。
他に聴覚異常、なぜか胸の検査もしました。

MRIは明日の予定です。調子よければ土曜日退院出来そうですがその後自宅療養で完治に早い人で1週間。
1ヵ月かかる人もあるそうです。

このての障害はリピート性再発はないそうです。
脳障害(脳血栓、脳梗塞、脳出血)がこのときに意外と発見されるそうです。

2日目にして初めて大便が少しでた。
18時、入院して2回目夕食の時間がきた。

お粥と 鶏のレバー、焼き豆腐・大根・こいもの田楽、さわらと大根のナマ酢の物とレタス、ブロッコリーがいずれも少量。

18:20から1時間、聞くともなくラジオ英会話をイヤーホーンで聞きながらうとうとする。
ラジオも飽きたので大平光代の「だからあなたも生きぬいて」を読み始める。

2日目の夜がやって来た。
「だから生き抜いて」を夢中で読み始める。

10:45ラジオドラマ「垂直の記憶」を聴き終えて12時まで「生き抜いて」を読み、
それから1時まで音楽を聞き、余り遅くなると養生に差し障るのではと思い眠りに入る。

2月23日:3日目
5時に目覚め6時前にトイレに行く。

6時より40分間英会話を聞き、昨夜の本の続きを朝食8時まで読む。
頭を意識的に下にしてみたら眩暈状態になる。

なかなか治らないんだなあ。憂鬱な気持ちになる。
昨夜のM崎さんに出した今日のR山代表者会議に出席していただく依頼メールの返事「快く出て頂ける」。

M本君の結婚披露参加の断りを入れたら「良くなったら少しの時間でも来て見てやってください」との返事あり。

22時「生きぬいて」読破。やればなんでも出来るんだなあ。
だけど僕にはあれだけの集中力が継続できるんかなあ?

この病気もやりたいクライミングのために一日も早く治すぞと自身に誓う。
今から点滴開始のアナウンス。トイレに行って来なくちゃ。

10時20分2本の注射と点滴開始。
1時間半の我慢。

8時に主治医S井先生の回診時に今日のMRIの時間を聞いたら「時間は看護師に聞いて下さい」と。
ナースコールして聞いたら「予定無しと」の回答。

「先生が午後にすると言ってたよ」。再度聞いて来ますと言って返って来た返事が「4時半にあります」だった。

忘れていたんやなと思ったがそのことは言わずにおく。

11:00検診:血圧は112・68。脈54。胃が荒れていることを伝える。
昼食:お粥、キンメダイの煮付け、ニューメン入り汁、煮物。

点滴袋に記載されていたこと:維持液・KN補液3B、500ml。
塩化ナトリウム、塩化カリゥム、乳酸ナトリウム、ブドウ糖、

昼食後ラジオ聞きながら眠ったようだ。
回診に来た先生に起こされたのは15時前。

「夜昼逆転してますか?」「いいえ」「4時頃からMRIの検査します
脳外科の先生にも診てもらいます」。

3時からはベットに腰掛けラジオに合わせ10分間体操。
これも治ってからのクライミングのためである。俺はどこまでもクライミング人生か。

16時車椅子でMRI室に。
MRI検査は以前1回受けたことがあり今回は2度目である。

先ず寝台に仰向けに寝かされて頭部を動かせないようにしっかり固定され、そして半円形の筒の中に押し込まれる。

磁気共鳴検査が始まると中は工事現場のようなに騒音のために
予めイヤーホーンを付けて音楽を流して気を紛らわすようにしてある。

それでも大きな音の場合は音楽どころではない。
この間約30分。終わり頃には眠ってしまっていた。

身体が半円筒から引き出されて初めて終わったと気付く。
再び車椅子で病室に運ばれる。気さくな看護師さんだった。

1階にある検査室から2階の病室までは今は歩けるようになっていると思うが、
何故か歩かせてもらえない。着いて1時間後にはもう夕食である。

病院にいると食事の時間がやたらと楽しく待ち遠しい。
願わくはもう少し量があれば尚良いが・・・

献立はお粥、鶏?シチュー、サツマイモとヒジキと枝豆の胡麻和えにデザートは杏仁豆腐。
量が少ないのが堪らない。

そこで昨日からいろいろ持ち込みして食事が終わってから追加食をしている。
食べながらのラジオ英会話はさっぱり分からないが義務的にイヤーホーンを耳に挟んで聞いている。

MRIの結果がよければ一両日に退院出来そう。
悪ければ長引くと言われている。今の自分の体調からは退院出来るのではと期待している。

寝返りしても目眩がしなくなって来た。
ベッドに座って新聞を見たりしてゆっくりした一時を過ごす。

22:30英会話の時間である。何を言っているのか分からない。

今夜もラジオドラマ「垂直の記憶」を聞き、
11時英語ニュースを聞いて眠りにと思っていたらニュースが始まった途端に眠ってしまったようだ。

0時に目覚めた。高橋治の読みかけの小説「冬の炎」を少し呼んで寝ることにする。
この頃寝返りを打つとまた頭がふぁっとするようになる。

目眩の前兆か?不安になる。今夜も1時になってしまった。
眠らなくては良くならないを強く感じ消灯する。

その時よく眠っていた隣のおじさんが騒ぎ出す。
またあのオバハンが来た。

あのオバハンとはどんな人か見たことはないが彷徨癖があり、
看護師さんたちが時々捜し回っている隣室のおばあさんなんだろう。

私は4人部屋で入口のところである。
夜中に何度もなんども奥に行ったり出たりの足音が聞こえる。

彼女の足音だったんかな?

昨夜は隣のおじさんの部屋に入りタオルを置いていき、
おじさんのスリッパを履いて出て行ったそうだ。

今夜の騒ぎはなんとおっちゃんが眠っている間に
おっちゃんのごみ箱にオシッコをしていたようだ。

物音に気がついた時にはおばちゃんが出ていくところだったようだ。
おばちゃんはトイレと間違えてしまっていたのか?

そういえば私の部屋のカーテンもキッチリ締めておいたはずなのに20センチ程開いていた。
その騒ぎの中いつの間にか眠りに陥り5時に目覚めまた6時まで寝入る。

2月24日:4日目晴れ:
今朝もいつものように6時に起きラジオ英会話を横になりながら聞き、
7時のニュースへと。

トリノオリンピックでアライさんがフィギアで日本人初の金メダルを獲得したニュースはうれしい。

これに刺激されてもっと取れたらいいのになあ!
もう残り競技も余り無いのかな?

8時の朝食前にトイレに行き洗面所の鏡の前で軽い体操をして帰ったらもう食事が用意されていた。
ほんまにジャストオンタイムのスケジュールである。

今日はお粥、フのみそ汁、里芋の煮っころがし、ジャコ入り大根おろし、梅干し、牛乳であるが
一皿ひとさらの量が少ない。

やはりいつもの私の食べる量とは大差がありもの足りない。
今日はMRIの検査の発表があるのだろうなあ。
待ち遠しいが本でも読んでゆっくりして待っていよう。

暇にあかして身体も悪くないので初めてベッドの上で腰痛体操をしてみる。
腰も危惧したほど痛くならなく快調である。

友達から来たメールに返事をしたりして結構時間が早く流れていく。
今から少しスクワットでもしてみようかな。

首を動かさなければ目眩には影響がなさそうだ。

10時の検診は血圧130・68脈拍56体温36、6
スクワットは浅めに屈伸45回。これは今月の目標数値である。

11時過ぎBabさんが見舞いに来てくれた。
体調もマシになったところにそろそろ退屈しそうな時間に見舞ってくれたので有り難かった。

頂いた苺をパクパクほうばりながらの歓談。
もう12時になってしまった。

また食事だ。お粥、とりとカリフラワー、トロロコンブのオツユ、じゃがいも・インゲン・ニンジンの煮物。
次第にこの食事メニューも飽きがき始めた。

デザートにこれも頂いたチーズケーキを食す。Babさん午後から用事があるので帰られる。
トイレに行って洗面所前でテレビ体操。食べ過ぎたか下痢。

そうだ今飲んでる薬を記しておこう。
リスロン:目眩防止、セルシン:気持ちを穏やかにする薬の2種類を
21日の最初から毎食後各1錠飲んでいるが口先に吹きでものができたので24日の今朝から
アルタットカプセル:胃酸を押さえる薬を飲みはじめる。

14時英語ニュース:半分眠っていた。
続いて英会話入門:一週間の復習。これは眠らずに聞けた。

その次の英会話は難しく聞かずにこの日記を書いている。
half・sister:は母違い父違いの姉妹のとのこと。知らなかった。

15時ラジオ体操第1第2をラジオに合わせて軽くやってから
運動がてら館内を初めて巡回してくる。

この間約1時間。流石に4日も横になっていると持病の腰痛も治ってしまうのか今は全く感じられない。
これも休養のお陰なのかな?

果たして退院した後はどうなるのかな?腰痛が無くなってくれていたらどんなに幸せか。

送られて来たR山ニュースでも見ようか。
今回は編集後記をを除いて興味のあるところがあまりない。

中級、初級、初級岩登りのスケジュールを手帳に転記する。

もう夕食だ。メニューは:お粥、大豆・昆布・こんにゃく・ニンジンの煮豆、太刀魚と小松菜とニンジンの煮魚、ビーフン・椎茸・ピーマン・ニンジン・筍の炒め。

毎度の不満だがそれぞれの量がもう少し多くあれば文句ないのだが、一日動かない人達には適当なカロリーなんだろうなあ。

食後は何もすることかがなくラジオ聞きながら読書。

19:30検診:血圧108・68、脈拍55、体温36、5でずうと正常値を示している。
体調が回復してくると寝ているのが退屈になりしんどくなって来た。

主治医の耳鼻咽喉科のS井先生が帰宅してしまい検査結果に依る今後の予定が分からない。

看護師を通じて脳外科の先生にMRIの結果を非公式に聞いて頂いたところ大丈夫のようで先ずは安心したというところである。

ラジオの電池が残り少なくなったので10時45分からのドラマ「垂直の記憶」を聞くために電源オフにする。
その時間まで2時間本でも見ながら過ごそう。

酒も飲まないと随分と時間ができる。
まだまだドラマが始まる11時45分まで35分も本が読めます。

本来は静養なんだから眠っていなくてはいけないのかな?
今日はドラマが終わったら眠ることにしよう。ところが聞いているうちに眠ってしまった。

目覚めたら11時半。またそのまま眠りに落ちた。

2月25日:5日目:天気晴れ。
今日は弟の何回目の命日かな?

僕が小学校5年の時だったから。51年も前になるのかな?随分昔のことなんだなあ!

入院して5日目にもなると変化に乏しく毎日が同じようになって来た。
元気になって来たので変化を付けて生活に張りを付けよう。

今朝は起床がいつもより15分遅れて6時15分であった。
少し頭が重く寒さを感じたが目覚めてみたらそれほどでもなかった。

直ぐにラジオをかけて基礎英語を聞く。
何故か毎回同じ内容なので飽きがきてどちらかと言うといい加減に聞いてしまっている。

45分からの番組は面白い。
内容は分からないがドイツ語会話を英語で解説する番組である。

電池が殆ど無くなって来たので終わったらスイッチオフ。

目眩もないので食事前にベッドの上で腰痛体操を10分間して顔を洗いに行く。
なんと5日振の洗顔である。髭も伸び放題。

今朝は食事前に来るお茶の配給が遅れているようだ。
よく飲む私は毎回500mlテルモスと急須に一杯もらっても足らなくなる。

食事も10分前に来るのが今朝は8時ジャストであった。
お粥に豆腐のみのみそ汁、少しのニンジン・あげの入った切り干大根の煮物、

それにインゲンの和え物と梅干し、牛乳。これでは足らないので持参したカステラのデザートを追加して食べる。

次に洗面所での歯磨きのついでに鏡に向かって5分間テレビ体操、
部屋に帰り軽いスクワット45回。

体操をすると体がすっきりする。これも体調が良くなって来ている明かしかな?

看護師が来て熱いタオルで背中をを拭いてくれる。
気持ちがいい。勿論前は自分で拭きます。

別の看護師が来て「先生は今会議が終わり外来を診ておられます。
昨日のMRI検査も異常なかったので今日退院出来ますよ。後でで先生から説明がありますから」とのこと。

日記を書いていたら、
また看護師さんが来て「先生から話しがありますから耳鼻咽喉科に行って下さい」とのことで1階の耳鼻科に出向く。

先生の説明の要約
1) CT、MRIの検査結果で脳に異常なく脳からの原因ではない

2) 耳鼻も異常ないので大丈夫。
3) いわゆるメニエール病ではなく一過性の疲れ、
ストレスからきたもので繰り返しの再発はない。

質問:
鼓膜テストのグラフが左右の耳で高さが異なっていましたが何故ですか?

先ずどちらも規則正しくリズムがあり聴力も正常である。
波長の高さの差異は幕の張りの強さ硬さに依るものである。
太鼓の革の張りの違いと思ってくれればいい。

退院出来るとなるとなんか気が抜けて来たがやっぱり嬉しいことである。
部屋の人、ナースステーションにいる皆さんに挨拶をして帰路につく。

改めて考えてみると今回の障害(病気)は一体何だったんだろうなあ?
原因はなんだったんだろうなあ?分からない?????歳か?

追伸
初めての入院経験:ラジオ英会話をこんなに聞いたことは初めてでした。
これを機会に英会話をちょっと勉強してみようかななんて今は思っていますがどうなることか?
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ポンポン山(その5) 

2006.02.17(金)

Kitzさん、明日土曜日は天気が良いのに山に行けず残念無念!
そこで今日午前中に用事を片付けて昼からポンポン山に行ってきました。
歩いて歩いて歩き通して腰痛を治す(ほんまに治るかな?)を実行しています。

と言っても今日は車で本山寺駐車場まで行き
そこから空身で(靴は昔の重い革の登山靴)往きは1時間、

帰りは50分のそれぞれ1ピッチの往復ですが山は雪がずーと降っていました。

歩いたせいかどうか分かりませんが腰痛も和らぎ、
ただ今家に帰り晩飯前の一杯を一人で傾けています。

T中さん足大丈夫ですか?お大事に。
捻挫癖がついているようですね。

治ってもクライミングの時は当分間テーピング等して予防するのもいいかも

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ポンポン山(その6)

2006.02.27(月)
突然の目眩に襲われ21日から25日の5日間入院。
今朝、ぽっぽのM崎さんから
リハビリでポンポン山はどうかと誘われ大急ぎで用意をして出かける。

参加者はM崎さん、T田さんと私の3人。
JR高槻駅で待ち合わせして10時51分発のバスに乗り込み神峰山口下車。

11時15分歩き始める。
路端に野菜が売られているが重いので誰も買わなかった。

舗装された道路を神峰山寺を経て本山寺駐車場へ。
ここまで約1時間の道のりである。

ここから舗装道路と分かれて山道に入って行く。
いわゆる東海自然歩道をポンポン山まで歩くのである。

途中振り返れば大阪の町も遠望でき素敵なコースである。
今日はポンポン山へ駐車場から1時間20分かかった。

T田さんはポンポン山はオンサイトだったそうです。
山頂には6~7人のハイカーがいた。

風がきついので早速テントを張って遅い昼食。

僕は例によってうどんである。
今日はその他にインスタントカレーうどんも用意していたのでそれも皆で食べる。

暖かくて美味しかった。
ここに来る度に毎回違った人が山頂付近を整備されているのに気づく。

彼らはボランティアでやられているとのこと。
今日の方は通称「月曜日の男」と呼んでくださいといわれた。

職業は美容師とかで62歳。

山頂からの眺めは今日もよく遠く近江富士も見ることが出来た。
帰りは「月曜の男とそのつれ」に誘われて渓谷通しに川久保に下りて来た。

20年以上振りのこのコースは全く覚えていなかったがなかなか素敵なコースであった。
道々、土嚢で補修されたところがある。

これも彼らがボランティアでやってくれているとか。
頭が下りました。

ポンポン山山頂も年々崩れて低くなっているそうです。
その対策をボランティアの方たちがやっておられることを知りました。

石を持ち上げて崩れるのを防ぐようにしたり、
木々の葉っぱを敷いたりし土砂が流れ落ちないようにいるようです。

次回登るときはボッカを兼ねて少しでも石を持ち上げようかなと思っています。

帰りに高槻で一杯のつもりが・・・飲みすぎてしまった。あ~あ何というリハビリ山行か?
M崎さんのお気遣いに感謝!
愛媛の山 無念石鎚山北壁
----でも楽しかった----

期間:2006.2.10~12     大阪ぽっぽ会  Gramps

この山には20年前の1月に一度一人で来たことがある。
1月にピトンの会のK中さんに誘われたが彼が腰痛になり中止。

続いて会のメンバーA山さん、H川さん、S形さんの4人で行く予定であったが
A山、H川さんが都合が悪くなってしまったためS形さんと高速バスを利用して行くことにする。

2月10日(金):晴れ山は曇り(ガス):
 梅田を8時ジャストに出発。途中2箇所休憩して12時55分西条着。
ここから地元のバス・瀬戸内バスにてロープウェイ下へ。

乗客は我われのほか地元の方が3~4人のみ。
運転手はリタイアしたI藤さんとか言う人で
もう皆で自家用車に乗っているかと錯覚するようなバスの中の雰囲気である。

途中で止まってまでいろいろ観光案内をしてくれる。
バスを降りすぐにロープウェイに乗り換え15時前に山上駅に到着。
そこはもう白銀の世界である。

のんびりと身を整えて出発。
林道のような感じの道を成就社に。ここで登山届を出す。

今日山に入っている人は3名とか。ここからは一筋のトレースに代わっている。
折角登って来たのにここからは下りである。

24キロ強の荷物が重い。もっと軽量化を図ってくるべきだと後悔しながら歩く。

それにしても長い下りである。やっと着いた八丁坂16:00。
あと1時間くらい歩いたらテント設営と決めて出発。

ここから今度は登りである。またもやもっと軽くすべきだったと後悔。
17時20分幕営適地があったので今日はここまでとする。

幕営後風が強くなり時々雪の天気となる。(21時現在零下4℃)

大阪8:00→西条12:55、13:30→14:29、14:40→ロープウェイ山頂成就社14:47、15:20~前社ケ森手前17:20

2月11日(土)ガス時々雪。風強し。(5時現在零下5℃)
7時20分出発。風強くトレースもかき消されがちである。

前社ケ森で休憩、夜明し峠辺りは右前方からの風が身体をぐらつかせるほどきつい。
一の鎖の手前の小屋横で風を避けて休憩。

鎖は雪で埋まってしまっている。トレースを辿り巻き道を行く。

二の鎖も巻き道を登り、三の鎖小屋前に到着(10:05)。ここをベースにする。

設営後、取り付き偵察に出かけるも小屋横の急斜面を慎重にラッセルして行くがその後の斜面は雪崩れそうなので躊躇。

結局諦めて上部稜線上の懸垂地点と天狗岳山頂(1982m)に行ってみることにする。
弥山(1974m)には何人かの人がいたがここから先には誰も行かない。

ただ一人若い女性が行ったとか。天狗に向かう。

懸垂地点には新しいロープがフィックスされていた。
単独行の青年の物のようだ。

これを使って降りてみたい気がしたが無断拝借と降りている間に回収されてしまったら万事休すになってしまうので諦めて山頂を目指す。

雪混じりの南の風がきつい。
なんと件の女性がこの寒風の中、岩に座り込んで下を覗き込んでいるではないか。

単独行の男性を待っているのである。
赤蠍攀破衆ルートの終了点である。もう1時間もいる。

寒くないかとの問に「いいえ」。どんな身体をしているのかな?
(山の井さんを待っている妙ちゃんが頭に浮かぶ)。
天狗岳の山頂は今少し先にあった。

四周は何も見えなく風も強く寒いが、
20年前は時間切れでここまで来れなかったので今日登れて感激である。

帰りには攀破衆ルートを登っている人が姿を現していた。
真横から見る登攀姿の美しいこと。登ってみたい衝動に駆られる。

テン場に戻り行動食の残りやお茶を飲んでゆっくりする。
16時頃件のソロイストと彼女が帰ってきた。

7時半に懸垂を始めて15時終了なんと7時間半の登攀であった。
彼らは小屋泊まりである。ストーブもビールもありルンルンの安息地だ。

幕営地7:20~二の鎖小屋手前の小屋8:50,9:05~二の鎖小屋9:30~三の鎖小屋10:05,11:30~~~天狗岳山頂13:00~テン場14:10就寝18:00

2月12日(日):曇り、ガス (6時現在零下6℃、テント内0℃)
昨夜、寝ていて今日の行動をどうしようか迷う。

先ず1)取り付きへのトラバース:雪崩れの危険がある。これは避けるべきか?

2)懸垂して取り付き探しをして登る。
この場合撤退しなければならなくなった時トラバースルートは雪崩れの危険があるから戻れない。

A)そのまま真っ直ぐ降りて二の鎖~土小屋ルートに出て二の鎖小屋に戻る。
二の鎖・土小屋トラバースルートのトレースに出会えなければ大変なことになりそう。

またこれができるのであれば通常取り付きへはこのルートを使うだろうが、
そのようにはされていないということは何か問題があるのだろう。

となれば

B)懸垂地点を登り返すしかなくなる。
その場合ロープを残置しなくてはならない。

ということは登攀は9㎜ザイル1本で登らなくてはならない。
この際途中で撤退しなければならなくなったら懸垂は非常に困難になる。

頭の中が混乱し始める。

今まで冬壁初見を何度もしてきたがこんな撤退が難しくなるパターンは初めてである。
どんな時にも撤退ができる状況を考えて登ることがビビリの私の鉄則である。

撤退で事故るのでは悔やんでも悔やみきれない。

昨日のソロの人は攀破衆の会員で二人とも30代とか。
今日は松山のアウトドア店の講習会に講師?として参加されるとか。
コースは天狗岳東稜。

天候も良くないので私は大いに迷う。
Babさんに聞いたら「どちらでも良い」との返事の中に「壁に行きたい」気持が有りあり。

迷よいに迷って東稜コースに決める。彼らより遅れること1時間:8時前に出発。

二の鎖の小屋まで下り、そこからは北壁の下を土小屋方面に向かって東にトラバースして行く。
彼らがラッセルしてくれているのでトレースはバッチリと付いている。

が無かったらルートファインディングは非常に難しい。
それにしてもガスのため北壁は全く見えない。

東稜への取り付きは無雪期の取り付き点よりかなり西より取り付き、
矢筈岩の西側からだ。

その少し前で香川の善通寺山の会パーティー6人が休憩しているのに出会う。
実はここまでのトレースの大部分は彼らが付けてくれたようだ。

「お先へどうぞ」のお言葉に甘えて先行させてもらう。

矢筈岩の登りで赤蠍攀破衆7名と講習生2名のパーティーに
1時間以上後に出発したのにラッセル無しのため追いついてしまった。

東稜はこの後、矢筈岩の横の大きなルンゼを登り、核心部の岩稜、
続いて南尖鋒の潅木混じりの雪壁を北から登り最後の岩稜をエイ、ヤッで乗り越し、稜線を最高峰・天狗岳に向かう。

このルート適度な緊張感とルンルン気分を味わえる楽しいルートである。
地元の山屋さんと一緒でなかったら取り付きまでは分かりづらく行けなかったかも。

そういう意味では非常にラッキーであった。
おまけに赤蠍攀破衆ルートを開拓した会長にも会え、

赤蠍攀破衆の方々と話ができ、情報もいろいろ聞かせていただくことが出来これまた幸運であった。

天狗岳山頂は昨日は一般ルートを西から登り、今日は東から登れた。
天候は昨日より穏やかであったが依然良くない。

少し留まり早々に弥山経由でテン場に戻る。

何故か今日は行動食も飲料もたくさん残っていた。
テントでそれらを全部たいらげた後今日のロープウェイの最終便に間に合えば下山。

間にあわなければ近くで幕営して明日帰る事にして下山を開始。

天気は相変わらずガスっており強い風と雪である。
ついに3日間とも北壁は見えずに終わる。

幸いにも最終便に間に合いその日の内に帰宅できた。

BC7:55~東稜取り付き9:15~天狗岳10:55~BC11:35、12:50~前社ケ森13:35~成就14:35~ロープウェイ山上駅14:55、15:00→下15:07、15:17
→西条16:10、16:30→大阪21:25→上牧22:30


赤蠍攀破衆の方たちの情報として

1) 冬初見のトライは避けた方が良い。
その理由はピンの位置が分かり辛くランアウトする。

(冬はどの岩場も同じような気もするが特異なのか?)
無積雪期に登ってルートを感覚的に頭に入れておくことを推奨する。

2) 撤退が非常に厳しい。
トラバースは雪崩れの可能性が高い。直下降は
非常に厳しい。
(懸垂地点にロープを残置してユマーリングで登り返すがベター)

3) 撤退するかどうかは1ピッチ目終了時点で決めること。
2ピッチ以降
は大きく被っているため懸垂が難しくなる。

石鎚登攀は今後の課題となった。登ることも彼らと会えることも楽しみである。

交通費:
上牧⇔梅田620円、大阪⇔西条9400円、西条⇔ロープウェイ下1940円
ロープウェイ往復2000円⇒合計13,960円
 以上

Babさんの感想です

積雪量多く、雪混じりの強風で体感温度低く、厳しかったです。
(「石鎚を舐めたらあかんで・・・」)

3日間、ほとんど雲の中で北壁の全貌は見えずじまい。
(時に一瞬白いガスの中に雪のついた壁が現れましたが。)

やはり無雪期の経験がないと取り付き、
エスケープ等不安があり今回北壁はやめ、東稜を登りました。

たった2ピッチか3ピッチの壁ですが、
山頂直下の壁までのアプローチ長く、しんどく、本チャンの冬壁という感じがします。

ピークハントだけでも充実です。近々にまた行きたいです。
やっと行けた「ふるさとの山」にはまりそう!