大阪ぽっぽ会 会員・ Grampsの山行

岩登り、縦走を中心に春夏秋冬楽しんでいます。

  比良山・武奈が岳 
    
日程:1984.01.29               
参加者:Gramps一家4名、京都市交通局山岳部員2名

朝起きたら家の周りは一面雪化粧。
前の道路は5cmも雪が積もっている。

6時20分出発。
こんなに雪が積もっているのであれば、
わざわざ比良まで行かなくとも良いんじゃない?なんんて冗談を言いながら
京都より湖西線に乗り込む。

スキー客、登山客で車内はほぼ満席である。
比良駅より満員のバスでリフト下まで。

リフト待ちはおよそ30分。
時折激しく降る雪に思わずフードを被る。

リフトは13分間の所要時間だそうだが、
もっと長く乗っていたように感じられた。

リフトからケーブルに乗り換え山上駅に。
ここで服装を整えている時に京都市交通局の山岳部の方2人に声を掛けられて、
武奈が岳までご一緒させてもらうことになる。

皆さんアイゼンを履かれたが、
脚力養成?を兼ねてわたしは履かないで行くことにする。

こんなに沢山の雪を見るのは初めての子供たち(11歳、9歳)はうきうきしておる様子。

生憎天候は晴れずに、
時折激しく雪に見舞われる状況となる。

スキー場を通り抜けイブルキのコバまで歩く。
今月8日に来た時より雪の量は相当多く道標も埋まってしまっている。

ここで5分ほど休憩して出発。
ここより雪の量が俄然多くなり、
予定していた水汲み場の谷水は水は見えるが2mも下でとても汲みにいける状態ではなく諦める。

雪の量は多いが所謂?「比良銀座」なのでトレイルはしっかり付いており、
難なく歩ける。

アップダウンを繰り返しながら進むと
「山と仲間」2月号の表紙の写真とそっくりな景色の樹林帯を通り抜け、

やがて目指す武奈が岳を目前にしたところで突然雲が切れ晴れてきた。

武奈が岳の全容を目の当たりに見ることが出来た。
8日に訪れた時は始めから快晴であったためその雄姿は素晴らしかった。

今回は見ることが出来ないと思っていたところに
突然その姿を現してくれたのでその喜びは瞬時とはいえ倍増である。

山頂は実際より高く見える。
子供たちが登るのは厳しいく否だと言わないか心配していたが杞憂に終ってよかった。

さて最後の登りにかかったら上から15~6名の大学生らしいパーティーがワカンをつけて下りてきた。
ワカン無しで登れるか少し不安になる。

そこから少し登った所で腕章をつけた老人が
「稜線は吹雪いているから気をつけろよ。西へは絶対行くな。
トレイルが分からなくなったら、わしのグループがいるから彼らに聞け」と親切に忠告してくれる。

案の定稜線に出るや、強烈な風が吹いている。
直ぐにロープを出して歩くも、20mも歩いた頃に猛吹雪に変わり視界は零。

顔についた雪は直ぐに氷と化し、
急激に寒さを感じ始める。

この急変で弟の文はびっくりして泣き出す。
山の天気の怖さを知らされる。

全員一時呆然と立ち止まり吹雪のおさまるのを待つ。
頂上まであと30~50mのところであるが子供のことを思うと行く気にはなれず、
慎重に引き返すことにする。

稜線を過ぎ、
下りにかかると風も弱まり子供たちも再び元気を取り戻しはしゃぎ始める。

登ってきた道をそのまま引き返してスキー場辺りで食事と思ったが
意外と風も強く諦めてお菓子を少し食べてケーブル駅まで我慢する。

がここでも食べずに比良駅までリフト、バスに乗りついで一気に下りてしまった。

駅前でバーナーを取り出して京都市交通局の山脇さんが肉うどんを作ってくださった。

おまけにビール、酒までおよばれしてしまった。
食事したのが15時。熱いうどんの美味かったこと。ありがとうございました。

記録:
京都駅7:40→比良駅→バス→リフト・ケーブル9:40~スキー場~イブルキノコバ~武奈が岳~イブルキのコバ~スキー場~ケーブル上13:50→リフト→バス→比良駅14:45、15:32→京都→家17:10
スポンサーサイト
   京都北山・雲母坂
日程:1984.01.28
参加:単独

阪急四条河原町より京都市バス⑤に乗って修学院道下車。
雲母坂口まで川沿いの道はアイスバーンになっている。

雲母坂口から雲母坂への入り口は注意していないと間違えそうう。
橋を渡ったら直ぐ登りになる。

登り始めたところで注意が必要。
雲母坂を登り始めて10分。

先日降った残雪がある。
雪中ハイキングのようで楽しい。

水飲対陣跡まで一気に登りここで5分休憩。
冷風が汗を心地よく拭いてくれる。

ここから京の街が一望できる。

ここよりケーブル比叡駅までは杉木立の中を歩いたり、
左に京の街を眺めながら残雪の上を歩いて35分。

4~5人の登山姿の方がバーナーを炊いて昼食の用意をしている。
全員京が一望できる方を向いていた。

私もここで昼食とする。
パン2ケとお茶の昼食。

それでもパンの美味しいことは格別?
残念なことにここで手袋を片方落としたことに気づく
(3000円の半分1500円の損失。あ~あ!)。

後から登ってきた方に問うも分からず。残念!

20分休憩後出発。
人工スキー場への道を進む。

10分ほどでスキー場入り口に到着。
ハイカーの人たちが右へと書いてある標識に従ってスキー場の周りを右折して登っていくが

どうも方向がおかしいので地図を広げてみるとやはり間違っているのに気づき、
スキー場入り口まで引き返し、

入場券売り場の人に「阿弥陀堂」はどちらかを尋ねたら、
真直ぐスキー場を進めとの返事。

ここより10~20cmの積雪の平坦な道を阿弥陀堂まで走る。

阿弥陀堂~弁天堂~ドライブウェーまでの下りは殆ど雪があり、
ところによっては20~30cmの積雪。

ここまで一気に走って下りる。
ガイドブックの所要時間にちょっと無理があるように思える。

ドライブウェーのトンネルを通り抜けると直ぐ林道に合流。
この辺りの積雪は25cm。

轍の跡を走り下りる。
てんこやま附近で単独の方に会う。

この方は山芋堀が趣味であるが今日は雪でだめだと言っていたが、
それでも1本見事な大きなものを掘り当てて持っていた。

この附近の山はマツタケが良く出るそうで、
昨年は百数十本も収穫してそうだ。

山芋堀の方と別れ、
再び轍を頼りに走って右に左へとカーブする道を下る。

と突然車止めがありその先は道が消えている。
そこから先は谷へ。轍もUターンした跡がある。

少し登り返してみると15~6m手前で右に入る道を発見。
そこに入って100mほど急坂を下るとまた道がなくなり谷川に突き当たる。

地図を出してみるとどうやらコースから外れているようだ。

元来た車道まで引き返す。
地図を出して再検討する。

北東へ来過ぎている様だ。
ということでさらに林道を引き返す。

2~300m引き換えしたら、下からだけ分かる道標を発見。
「武田薬品農場経由一乗寺清水方面」とある。

道標としてはちょっと不親切かな?この間35分のロス。
しかしながら道標を探し当てほっとする。

ここから一乗寺清水まで一気に走歩き。
15:30分到着。

清水バス停でビールの代わりに牛乳500ml飲む。
帰宅したら下痢してしまった。

   比良山縦走

平~アラキ峠~花折峠~アラキ分岐~アラキ峠~アラキ分岐~平→(トラック)→叡山駅 

期間:1984.01.21(雪)
参加者:単独

京阪三条から梅ノ木行きのバスには乗客3人のみ。
平でその3人全員下車。

2人は皆子山に登られるそうだ。
ここで一瞬自分もそちらに行こうかと脳裏を掠めるもやっぱり決めた通りに行こう。

登山口でスパッツ、ワカンを装着。
誰も登っていないようだ。

アラキ分岐(分岐には→の方向にダムありの道標)でダム方向とはちがう右方向をとる。

20分くらいで峠に出た。
ここがアラキ峠かと思ったが少しおかしいようなので、そのまま進んでみと分岐が出てきた。

山方面に登ってみるも少し歩いたら道らしきものがなくなる。
先ほどの分岐のところの道標の→方面を確認しておけばと悔いる。

とりあえず引き返してみる。
アラキ分岐まで35分かかって戻る。

分岐から矢印の方向に進むとダムの手前にリボンを発見。

そのまま山の中へと突き進むもトレースは全くなくラッセルが厳しい。

丁度1時間でアラキ峠に着く。
ここで5分休憩して権現山に向け出発。

道標を探しながらラッセル。
リボンらしきものも全く見つからない。

30分ほど探し回ったが全然見つからない。
進む方向は大体見当がついているもラッセルがきつく、
今回はここで断念して引き返すことにする。

帰りは30分で下りれた。

幸運なことに平より長いことバスを待たずにトラック乗せてもらって湖西線叡山駅まで来れた。

反省点:
1) やっぱり雪山は無雪期に歩いておいた方が良い。
2) 単独は危険を伴う。

記録:
4時45分起床。京都四条河原町6:08~京阪三条6:20、7:22→平8:50~アラキ峠~花折峠9:40~アラキ分岐10:15~アラキ峠11:15、11:50~アラキ分岐12:10~平12:30→(トラック)→叡山駅13:41→
   比良山迷い縦走

志賀~天狗杉~クロトノハゲ~木戸峠~比良岳~摺鉢山右回~奥の深谷~牛コバ~坊村 

期間:1984.01.15~16
参加者:単独

仲間と15日20時イン谷正面小屋前に集合して、翌日堂満岳に登る予定。
15日は朝から時間があるため、
朝出発して上記コース比良岳から金糞峠経由で
正面小屋に17時30分到着計画を立てて志賀駅を9時50分に出発。

天候は晴れ。キタダカ谷の金毘羅峠分かれ道まではトレースもしっかりついていた。
そして10数名の方とも会った。

しかしこの辺りからはトレースもはっきりしなくなってくる。
天狗杉附近で京都労山の2人パーティーが休憩しているのに遇う。

2人はヤクモまで縦走するということで同じ方向であることを確認。

クロトノハゲの岩を周ったところで右コースを取る。
その後20~30分後に男女のパーティーに追いつく。

男性は某産大の山岳部、女性は高校時代の同窓生とか。
彼らは金糞峠まで縦走するということ。

この辺りからトレースも完全になくなったのでワカンをつけてラッセルしながら歩く。
彼らもここからワカンを装着。

40分ほどで木戸峠に到着。
木戸峠から比良岳までは迷いながらもほぼ正常のルートを進んでいたと思われる。

しかし比良岳を通り過ぎて烏谷山を登った頃よりどうもルートが怪しくなってきたようだ。

烏谷山を右に回るべきところを左回りを取り南比良峠へと到達できるコースがあるのではと左回りに行ったがそのトレースは摺鉢山の右裾辺りからどんどん北西に向っている。

摺鉢山北裾辺りで方向が完全にちがっているのに気がついたが、
今から引き返すには時間的に難しく思えたので、そのままトレースに従って進むことにする。

みんなも私の後をついて来る。

後で分かったのだが、
このトレースは巡視指導員のトレースで金糞方面に行く予定であったが時間(日没)の関係で坊村方面に行き先変更したトレースであった。

20~30分歩いたところでコースは間違いなく坊村方面への道と分かる。
この頃より吹雪いていたのが雨に変わり始める。

雪も緩んできた。

牛コバより50分坊村に到着。
時間は18時15分。日は落ちて周りは暗くなっていた。

今夜は比良山荘に泊まる。
他の人たちの1パーティーはバス停でビバーグ、他のペアーは友達に迎えに来てもらい帰って行った。

翌朝始発のバスで帰路に着く。

記録:
志賀9:50~天狗杉~クロトノハゲ~木戸峠13:20~比良岳~摺鉢山~奥の深谷17:00~牛コバ~坊村18:15(比良山荘泊)
   鍋開きと比良山・武奈が岳

逕サ蜒・002_convert_20110423161129
武奈が岳を望む 

期間:1984.01.07~08

鍋開き:1月7日
参加者:15名
場所:比良山・イン谷正面小屋

午後8時頃より集まりだし水炊き開始。
酒、ビールを飲みながら一年間の開始を祝う。

逕サ蜒柔convert_20110423161043
金糞峠手前より正面小屋方面を

2時頃まで飲みながら談笑したり歌ったりして楽しく過ごしテント組、小屋組に分かれて寝る。

武奈が岳:1月8日
7時半起床。
昨夜の水炊きの汁でうどんともちを入れて全員で朝食。

9時出発。
コースは既に踏み均されていているために雪が多い割には歩きやすい。

正面小屋より金糞滝まで一気に歩いてここで5分の休憩。
暑くなってきているのでここで一枚脱いで、金糞峠までの急登にかかる。

みんなはアイゼンを装着するも持参していなかったので登山靴でそのまま登る。
峠までの30分はきつかった。

ここでも5分休憩して出発。
ここからは少し下ってほぼ水平に移動。

道へ張り出した雪を被った木々の枝には閉口した。
静かな雪の中を歩くのは気持ちが良い。

逕サ蜒・001_convert_20110423161108
山頂への道

40分ほど歩いたら賑やかな人の声が聞こえてきた。
比良スキー場である。ここの積雪が180cm。

そのスキー客の間をする抜けてイブルキのコバに向う。
ここでも5分休憩で武奈に向う。

トレースと言うより雪の自然歩道を歩いているような気持ち。
40ほどで武奈が岳山頂に到着。

天気快晴の下360度の展望。
幾重にも重なった山々。素晴らしい。
来て良かったと思う瞬間。

逕サ蜒・003_convert_20110423161153
武奈が岳山頂にて

こんな天気はそうそうあるものではない。
ラッキーである。

下山はワカン履いての歩行練習をしながら下りる。
トレースを外すと腰まで潜るところもありびっくり。

自然歩道に戻りワカンを外して、かけあし下山となる。
帰りは北比良峠経由で正面小屋まで一気に駆け下りる。

記録:
正面小屋9:00~金糞峠10:20~比良スキー場11:00~イブルキのコバ11:20
~武奈が岳12:05~イブルキのコバ~北比良峠13:30~正面小屋14:30
初めての冬のテント泊
時:1984.01.01~02

今朝未明から太閤道~若山神社初詣・初日の出を終え、
今夕からは子供たちの冬のテント泊経験。

家族からの止めろ、やめろの気狂い呼ばわりをされながらも子供2人をお菓子で釣ってのテント泊

河川敷グランドは日暮れまで子供たちが凧揚げやらして遊んでいる
日没を待ってテント設営。

子供たちが寝るマットレス、布団を持ち込み一旦家に引き返して夕食を取る。
午後7時過ぎ寝袋、シェラフカバーを持ち込んでテント泊の始まり。

野犬がいるとのことで野球用バットも持ち込んで万全を期す。

床に入ってから長男が一人しゃべっていたが、
夕食のアルコールのせいか8時過ぎには眠くなってきた。

3人とも一斉に寝入ってしまった。

目が覚めて時計を見たらまだ11時。
いろんな夢を見た気がする。

明日見た夢をノートにでもと思ったが、いつも翌朝には何を見たのか忘れている。

メモでもしておこうと思うも寒さのため億劫でメモはできない。
案の定翌朝には何を見たのか思い出せない。

そのうち又寝入ってしまった。
とテントの中に野犬が一匹入って来た。

仰向けに寝ている私の足の上に乗り右ひざを噛もうとしている。
とっさに足を動かそうとするが動かない。

近くに置いていたバットを取ろうとするが取れない。
その瞬間に目覚めた。

子供の足が私の上に乗っている。
夢だったのか。

時刻は丁度1時。
テントが開いていないかそっと見ると大丈夫開いてなんかいない。

と又寝入った。
今度はトイレに行きたくて目覚める。
3時だ。

しかし寒いので寝袋から出たくない。
家の中ならこのまま我慢して寝てしまうのだが、
トイレに行かないと眠れない気がする。

仕方無しに起き上がりテントの外へ。
先ほどの野犬がいないかと脳裏を掠める。
幸い野犬はいない。

風も無く満天の星がきらきらと輝いている。
案外寒くない。

すんだ後の満足感でテントに戻り寝袋に入る。
寝袋に入って「何度かな?」と思うも温度計は手の届くところにはない。

シェラフから出るのは億劫だ。
そのまま眠ろうとするもなかなか眠れない。

考えてみたら8時から寝ているので、
もう7時間も眠っているのだ。

しかしそのうちに又うとうとし出した。

今度は友人のKとタクシーで家に帰る夢を見る。
誰もが夢で経験する現実からの超越。
この夢もしかり。

自分の家も、友人の家も現実の家ではなく昔住んでいた家である。
そのタクシーには友人とは全く関係のない私が勤めている会社の人の子供が2人乗っている。

しかもこの子供2人に私は会ったことがないのである。
先ずその子供たちを家に送り届けなくてはならない。

このタクシーの中で河川敷でのテント泊にに付いて話を聞かせている。
離し終わったところで目が覚めた。

当然目覚めたところは寝袋の中。
5時である。温度計を外に出して計ってみたら零下4度C。

もう一度眠ろうとしたが腰の周りが冷え込んで眠れない。
5時半、子供たちは相変わらずぐっすり眠っている。

気温は1℃下がって零下5℃になっている。

一人起きて昨夜約束したカップヌードルを作るため外でお湯を沸かし始める。

6時ジャストに目覚まし時計が勢いよくなる。
子供たちはなかなか起きない。

少しして兄が目覚め「お父さん、おとうさん」と呼んでいる。
「お父さんがいないぞ」と弟に伝えている。

「おしっこに行ったんとちゃうか?」と弟の半分寝ぼけたような声が聞こえてくる。

テントを開けてみると兄が反対側に座っている。
「何しているんだ?」と聞くと「あっそうか、出口はそっちか」と寝ぼけていた。

ラーメンの出来上がり。
3人で朝食の真似事をして、しかし美味しかった。

今回初めての冬のテント泊も無事終わりました。

   初日の出 太閤道~若山神社
日程:1984.01.01

例年初日の出は山の中腹にある近所の若山神社(若山さん)で見ることにしている。
今年は高槻より太閤道を歩いて若山さんで初日の出を拝む計画をしてみた。

母は山歩きをせずに直接若山さんに向うことにして
残りの家族4人で計画を実行することにする。

31日、子供2人と私は午後8時半に就寝、
連れ合いは紅白を見て午前1時過ぎに寝たとか。

3時10分前目覚ましのベルで飛び起き皆をたたき起こす。
連れ合いは2時間の睡眠で大丈夫だろうか?

水無瀬駅から一番電車に乗り込み高槻へ。
京都での初詣の帰りの人たちで車内は混雑している。

高槻駅から歩き出す。
およそ40分で太閤道入り口に到着。
3分間の休憩でパンを半分食べる。

ここからヘッドランプを点けて一列で進む。
金竜寺までの3分の2くらいのところで道標を見落としたのかきこり道へ迷い込んでしまったようだ。

急坂を登りつめたところで踏み跡がなくなる。
長男の「引き返そう」の声で退却。

道標を見落としていた。
時間的に若山さんで初日の出が見れるかちょっと不安になってきたがとにかく前に進むことにする。

金竜寺に5時半に到着。
ここで休憩がてら残りの半分のパンを食べる。

金竜寺から10分ほど急坂を登る。
振り返ってみると高槻の街の夜(朝)景が美しい。

名神高速も見える。午前6時前なのに車のテイルランプの赤、ヘットライとの黄色が帯をなしている。
さすが1月1日・元旦の朝だ。

この辺りから道は歩きやすくなり、
若山神社への道標も沢山立っている。

ヘッドランプの明かりを頼りに前へまえへ進むのみ。

「若山神社まで後57分?」の道標あり。
この辺りから次男が先頭になって進む。

時刻は5時50分。
日の出は7時10分頃急げば間に合いそう。

みんなの足が自然に速くなる。
辺りも明るくなってきた。

やがて桂川、宇治川、木津川の3川合流がはっきり見える地点に到着。
ここからも初日の出は良く見えるようだ。

が若山さんには母が待っているのでここからの静かな初日の出は諦めて歩を進める。

昨日の残雪、今朝の霜柱を踏みしめながらゴルフ場の横を通り過ぎ若山さんへと。
最後の急坂を下りたところで小学生の団体20名位に遇う。

先ほどの3川合流地点が見えるところに行くようだ。

急坂を下りたところが若山神社である。
初日の出に間に合った。

びっくりしたことに例年にない人、ひと。
新聞で紹介されたためかな?

静かに初日の出も拝めなくなりそう。
宮司に聞いたら直ぐ下に公団が出来たためとのこと。
「うちは嬉しいですよ」の言葉は本音。

例年のごとくお参りを済ませて初日の出を待つ。
2~3年前から地元のボーイスカウト、ガールスカウトもここに来るのが恒例になっている。

この団体で1等地を占領しているので少し不満である。

7時10分女学生の歓声で東を見ると初日が雲の上に現われた。
何故か知らないが今年の初日の出には感激があまりなかった。

帰宅して雑煮で新年を祝い12頃まで寝る。

長男11歳、次男9歳、私40歳の元旦でした。